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2009年4月

会計は経営の基礎言語

『タスポ導入は失敗』と取りざたされているが、どうだろうか。そもそもタスポ導入の目的は、「未成年者にタバコをすわさないため」であった。つまりタスポは目的を達成するための1つの手段にすぎない。そういった意味で私はタスポは一定の成果を上げたと思っている。

『タスポ導入によって得したのはコンビニだけだ』という意見を今頃主張しているメディアがある。それは導入時から想定の範囲内であり、いまさらあたかも失敗かのように取り上げるべきことでもない。本来の目的を見ず、単に利益というところに目をやってしまった単なる議論のすり替えに過ぎない。

人間、もうちょっと考えようよ。

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先日、大学院生の後輩と話をする機会があって、『(来年から就職するのだが)学生時代に何をすればよいか?』という質問を受けたので「やりたいことをやりのこさないようにやればいいよ」というと『やりたいことをやりつくしてなにをやればいいのやら』という答えが返ってきた。
私のときはどうだったかな?と思い返してみると、やりたいことはいっぱいあったけど時間が足りなかったなぁというのが本音。もちろん後悔はしていないが。私の要領が悪いってことになるのか、後輩の要領がよいということになるのか、、いずれにせよ、学生時分にせよ、社会人にせよ「やりたいこと」をやるのが一番でそれがない状態というのもたまにはよいかもしれないが、常時そういう状態に自らを追いやるべきではない。

とりあえず、勉強しろってことで会計を学ぶように薦めておいた。

「会計」という言葉を知っていること自体にさほど値打ちはないが、言葉を知らなければ会話すらできないのと同じである。損益計算書や貸借対照表は、どのような会社にも必ず存在しているし、社会人として基礎知識である。ただし、それを学んでいること自体で就職が有利になることはないが、他の人より一段、目線を高く、俯瞰することができる。

会計学というと、日本の文系・理系という(よくわからない)分類の中では文系に入る学問領域になるのであろうが現実には卒業後、みな仕事をするのだから、本来、会計学は必修科目にしてもよいはずである。

世の中でよくいる「一芸に秀でた人間」といっても、本当に1つのことしかできなければ、ただの「専門バカ」である。ある一つのことしかできない人間はその分野では存分に力を発揮するが、それ以外の分野になると応用が利かないばかりでなく、経営の視点が欠けているということであれば、ややもすると自分のやりたいようにしかやらない、経営にとってマイナスになりかねない。

一芸に秀でることをめざすと同時に、いろいろなことを広く、浅く知ろうとすることが大切である。

以上

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今の時代に求められる本当に大切なもの

本日の皐月賞はテンが速過ぎて先行勢が総崩れの皐月賞であまり見たことのないパターンでした。だから競馬はおもしろい。
ダービーはブレイクランアウトに期待。(出走すれば)

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金融危機の影響を受けて、各企業で大リストラや大幅な給与カットが行われている。
ソニーや三洋をはじめ、数千人のリストラを発表するのも珍しくなく「派遣切り」から「正社員切り」に移りつつある。若手社員はともかく、幹部クラスの希望退職者を募るのは常識で、数十年前に就職活動をして、大企業という(一見恵まれているような)環境に安穏としてきたツケがいまになって回ってきたと考えてもよいかもしれない。

ご存知だろうか。
そもそも日本で終身雇用が当然と見なされたのは、歴史的に見て、さほど古い話ではない。戦前はもちろんのこと、戦後しばらくの時期まで、企業が都合に応じて従業員を増減するのは当たり前のことだった。それが1950年ごろから、一度採用されたらよほどの不祥事を起こさないかぎりクビにならない、閑職に回されても身分は課長待遇、次長待遇など社会的に見て恥ずかしくない肩書が与えられるという、日本独自の悪しき雇用システムが生まれた。失われた15年に至るまでの40数年間だけが、特殊だったと考えてよいのだろう。

いまやそのような「サラリーマンは気楽」といわれた時代は終わって、日本を代表するような、どんなに立派な企業であってもリストラを行なうのが当たり前になった。その是非は別にして、日本的雇用はもう事実上崩壊しつつある、といってよい。

そうなると、重要になってくるのは「個人」であろう。「個人」が価値のある人材だと思われるか、それとも思われないか、が大切になってくる。

ここで「労働力」とは何か、を考えたい。

労働力とは基本的に3つに大別される。

1つ目は単純労働で、いわば機械や馬の動力代わりである。
物を動かしたり、穴を掘ったり、埋めたり、砕いたり。
誰かがやらねばならないことは確かだが、ある意味、誰にでもできる仕事だ。
こうした労働力の多くをいま、日本はASEAN諸国や中国などに外注している。

2つ目は、業界知識を必要とする仕事である。
ホワイトカラーの仕事の大半は、これに該当するだろう。
たとえばテレビ局であれば「カンパケ」。銀行関係なら「代手」。IT関係なら「P2P」など。
他の業界では絶対に使われない用語を覚え、そして業界常識をマスターして仕事に従事する。しかしその知識は終身雇用制の下、同じ会社でずっと働くには役に立つが、他の産業に移ればまったく通用しなくなってしまう。

そして3つ目が、機能的な仕事である。
「人事評価に詳しい」「マーケティングが得意」といった類で、これは他産業においても広範囲に役立つ知識であり、技能である。

開発力を必要とする企業なら、どの産業でもマーケティングのプロが必要だ。
あるいは銀行員でもお客さま係をやっているような人間には専門性は根付かないが、
たとえば融資を専門にやってきた人なら、その銀行がダメになっても他の銀行やリース会社などに転職できる。(もちろん接客のプロもいますが。)

つまり機能のプロとは、言い方を変えれば、一芸に秀でている人のことである。
そして業界や会社のプロのように、その業界や会社では役に立っても、
ひとたびその場を離れれば不必要になる知識や技能ではない。
そうした機能のプロになれば、大リストラ時代において希望退職者のリストに名前が載っても、別の会社への移動が可能になる。

あるいは自分のいる業界や会社が発展の余地がない、と見切りをつけたなら、
これから伸びる業界を探し出してきて、そこでその機能を発揮すればよい。
これから伸びる、勢いのある業界ほど人材不足で困っているのが普通だから、
そこで彼は重宝されることになるだろう。

資本主義が成熟していくと、産業構造が変化していく。
その変化とともに、人材も流動化していく。
これは世界中のどこでも見られる、きわめて当たり前の変化だが、横移動のできる機能のプロが求められる部分もあまりこれまでの日本ではなかったかもしれない。

ガラパゴスのように環境が変わらなければ進化の必要もあまりないのかもしれないが、
しかし社会が流動化すればするほど、機能のプロのニーズはますます高まってくる。
環境が変わったとき、それに適応できる人だけが生き延びられるのだ。

これからはそんな時代であろう。

機能のプロになるさらなる利点は、経験を経ることでますますその能力が高まり、
企業から必要とされる人材になれることだ。単純労働の場合、45歳よりも 35歳、35歳よりも25歳のほうが価値が高い。体力があるうえに、自分の考えを主張せず、いわれたことに黙って従えばよいからである。とくに派遣のような代替の利く仕事では、いまのような時代でなくとも若い人が採用される確率が高い。

一方、機能のプロは25歳よりも35歳、35歳よりも45歳のほうが経験値が高く、企業から重宝される。若いからできないというわけではないが、経験に基づいた知恵は何事にも変えがたいものがある。私の周りにはコンサルタントを目指す人間が多いが、そういう人の話を聞くと単純に恰好よいというだけでなく、「経営学」のプロになれるからだという。

たとえば、松下さんや盛田さんや本田さんのように優れた頭脳と自分の経験、鋭い洞察力によって素晴らしい経営を行なう人もたしかにいる。しかし、彼らほど天才的ではなくても、コンサルティングという仕事を通じてそれに近似値的な考え方ができるようになると私は考えている。そういった人材を実践向きに鍛え上げているのがコンサルティング会社やビジネススクールやという認識で間違いはないだろう。

しかしながら、たとえMBAホルダーであっても、名だたるコンサルティング会社出身者であっても私は重要でないと思っている。

同じ人間である以上、本当に大切なものは「知恵」と「情熱」だと考えているからだ。

以上

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